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関東と関西の境界線って関ケ原やろ? “Kanto”region or“Kansai”region 

「関東」と「関西」。

同じ日本でも食文化から生活様式、言葉にいたるまで、探せば出てくるいろいろな違い。その間に位置する東海では「我が町が境界線だ!」と各地で東西の境目を主張する動きがあるのです。「ちょっと待った!天下分け目の関ケ原こそ境界線上の町やろ!」という意見から、関ケ原町民へのアンケートやお店取材の結果を元に徹底検証してみました。

調査結果/2014年2月現在

アンケート結果/食べ物だけをみても東西が入り乱れているのがよく分かります。特に日清どん兵衛のつゆは、関ケ原を境に味が変わるという興味深い結果に!

その他にもまだまだあります

関ケ原が関東と関西の交流地!?/地理的に見ると…江戸時代、日本橋と草津宿を結んでいた中山道に、北から北国脇往還、南から伊勢街道が関ケ原の中心付近で合流し、三道が交差する分岐点となっていたのです。不破関が置かれていたことからも分かるように、関ケ原が東西を遮断する交通の要衝であったのは間違いありません!/文化的に見ると…言葉の違いでは、伊吹山を境に東側では西濃弁と呼ばれる東海圏の言葉になり、西の滋賀県側では関西弁のイントネーションに似た言葉になってきます。とあるテレビ番組で関西で使われる「アホ」と関東で使われる「バカ」の境界線調査を行ったところ、「アホ」と「タワケ」の境界線が関ケ原町の西今須だという結論に至ったとか。/遺伝子的に見ると…日本人のルーツは南アジア系の縄文人と、北アジア系の渡来弥生人が混血して形成されたという見方が有力。縄文人には蹄状紋が多く、弥生人には渦状紋が多いといわれ、東日本、西日本でみると指紋タイプが分かれるようです。渦状紋が多い人、蹄状紋が多い人、どちらも同じぐらいの割合なのは、ここが境界線だから!?/歴史的に見ると…「関西」という言葉は奈良時代にはすでに使われていて、越前の愛発関、美濃の不破関、伊勢の鈴鹿関の「三関」を結んだ線より西を関西と呼んでいたのです。この時代、関ケ原が“境界線上にあった”のは確実!「壬申の乱」「関ケ原合戦」2度の天下分け目の戦いの舞台となった歴史的事実もあります。

結論/東西、どちらでもないけど、どちらでもある関ケ原は “境界線上の町!” 味覚や言葉、生活習慣などなど、東と西が混在した町、関ケ原をあなたの目で耳で舌で、確かめに来てください!面白い発見があるかもしれませんよ。