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知ってると得する、豆知識いろいろ 「関ケ原辞典」

関ケ原歴史年表:安土桃山時代−江戸時代

西暦 年号 関ケ原町関連事項 国内の出来事
安土桃山時代
1579 天正7 竹中重治羽柴秀吉の中国征伐に従い陣没 1580 信長、本願寺と和睦
1582 10 織田信長が安土への途今須で休憩
明智方についた京極高次が今須に隠れたという
1582 本能寺の変
1583 賎ケ岳の戦
1583 11 前田利長が関ケ原を焼く、秀吉が池田信輝に美濃を与う(〜1590) 1584 小牧長久手戦
1588 16 稲葉一鉄 1588 刀狩令発布
1589 17 秀吉の美濃の検地(「伊吹村検地帳」)竹中重門が知行地を与えられる 1590 秀吉全国統一
1591 19 今須が秀吉の蔵入地になる(代官 石田三成) 1592 秀吉朝鮮出兵
1593 文禄2 美濃表佐より朝妻へ材木等運送 1596 文禄の役
1597 慶長2 「関ケ原村検地帳」、山中村検地 1598 豊臣秀吉没
1600 5 関ケ原の戦い、家康の関ケ原町衆宛禁制 1600 関ケ原合戦
1602 7 中山道に伝馬制度設置  
江戸時代
1604 9 諸街道に一里塚築造 1603 江戸幕府創立
1606 11 関ケ原宿問屋と今須・柏原両宿問屋間に争論  
1609 14 山中村、今須検地(〜15)(石見検地)  
1611 16 関ケ原・牧田両宿間に争論 1614 大阪冬の陣
1616 元和2 11月 関ケ原宿駄賃定 1615 大阪夏の陣
1621 7 今須村検地  
1624 寛永元 藤下村検地、11月 朝鮮通信使通行 1633 海外渡航禁止
1625 2 「山中村名寄帳」 1635 参勤交代制確立
1636 13 11月 朝鮮通信使通行 1637 島原の乱
1640 17 今須・柏原・醒ヶ井3宿と関ケ原宿間に茶荷物で争論あり 1641 鎖国完成
1642 19 関ケ原宿へ宿駅条目下付される  
1643 20 6月 朝鮮通信使通行 1643 田畑永代売買禁
1644 正保元 琉球使節通行 1644 全国国絵図・郷帳
1650 慶安3 9月 関ケ原地方豪雨、「関ケ原川成水帳」 1649 慶安の御触書
1655 明暦元 9月 朝鮮通信使通行「松尾村検地帳」  
1670 10 野上村検地 1671 宗門人別改実施
1674 延宝2 今須村検地、至道無難没 1673 分地制限令
1676 4 関ケ原・今須・垂井3宿が幕府から米銭を拝借する  
1677 5 今須・柏原・醒ヶ井3宿と関ケ原宿間に茶荷物で争論あり  
1680 8 「関ケ原宿書上」  
1682 天和2 宿駅・毒薬の高札たつ、8月 朝鮮通信使通行 1685 貞享暦採用
1684 4 「今須村差出帳」 1687 生類憐みの令
1690 元禄3 関ケ原宿人馬賃銭一割増となる 1689 芭蕉奥の細道旅立
1693 6 5月 松尾・藤下両村間で藤古川用水につき水論あり、茶壷通行  
1694 7 中山道東海道各宿に助郷人馬定め  
1696 9 茶壷通行 1695 貨幣改鋳
1697 10 関ケ原村酒屋久左衛門酒造締方請書提出  
1699 12 今須村に殺生鉄砲2挺免許  
1701 14 美濃国絵図郡村高帳提出  
1702 15 野上・垂井両村間の山論落着する「今須宿口上書」 1702 赤穂浪士仇討
1703 16 関ケ原宿・山中村で道造り施行「関ケ原宿口上書」  
1707 宝永4 関ケ原宿人馬賃銭2割増となる  
1709 6 今須村の村方騒動あり 1709 新井白石登用
1710 7 琉球使節通行     (正徳の治)
1711 正徳元 5月 火付の高札たつ、10月 朝鮮通信使通行  
1712 2 関ケ原村の頭分騒動あり  
1714 4 琉球使節通行 1714 貨幣改鋳
1715 5 1月 琉球使節帰国の途関ケ原宿休憩 1715 長崎貿易制限令
1717 享保2 野上村惣観音についての争論、関ケ原火災除け祭礼始まる  
1718 3 北国街道入り口に道標たつ 1716 享保の改革(〜45)
1719 4 9月 朝鮮通信使通行  
1722 7 「藤下村田畑名寄帳」 1722 上米の制
1725 10 今須・柏原・醒ヶ井・番場4宿と玉・春照・長浜の問屋間に茶荷物につき争論あり 1723 足高の制
1726 11 「関ケ原村宗門人別改帳」  
1731 16 比宮徳川家重へ興入れのため下向の途通行 1732 享保大飢饉
1748 寛延元 3月 藤下村に高札場できる、5月 朝鮮通信使通行 1742 公事方御定書
1749 2 五十宮徳川家治へ輿入れのため下向の途通行  
1751 4 3月「今須宿大通りの節の勤方書上」  
1753 宝暦3 10月 玉・春照両宿間に争論あり 1754 宝暦治水工事
1758 8 関ケ原・今須・垂井3宿とその助郷40村間に争論あり 1758 宝暦事件
1761 11 3月 巡見使関ケ原宿に宿泊する  
1762 12 今須村妙応寺焼失  
1763 13 関ケ原宿の助郷13か村となる、関ケ原宿秋葉神社を勧請する  
1764 明和元 2月 朝鮮通信使通行 1767 明和事件
1778 7 旗本岩手竹中氏が博奕取締の触を出す、今須村検地  
1787 7 4月 関ケ原宿助郷13ヶ村が助人馬につき起請文提出 1787 松平定信老中(寛政改革)
1788 8 7月 巡見使関ケ原宿で宿泊
9月 今須・垂井両宿間で木材類の口銭につき証文取り替わし
 
1789 寛政元 3月 玉村岩倉山での石灰焼を許される、4月幕府が関ケ原宿に取締方通達 1789 棄捐令
1790 2 2月 玉村石灰焼き再願、琉球使節通行 1790 寛政異学禁
1792 4 7月 笠松役所が今須御林の松を同村に伐り渡す 1792 ラックスマン来航
1795 7 4月 今須・玉両村間に山論あり  
1799 11 9月 関ケ原宿竹中氏へ倹約令請書提出
今須御林の松野上村に伐り渡す、関ケ原宿人馬賃銭1割5分増となる
1800 伊能忠敬が蝦夷測量
1804 文化元 楽宮徳川家慶へ輿入のため下向、茶壷通行
大垣藩役所が踊、辻相撲・花火を禁ずる
1804 レザノフ来航
1805 2 8月 今須村の年寄家13軒が年寄家定書を定める 1808 フェートン号事件
1806 3 琉球使節通行 1808 間宮林蔵樺太探検
1813 10 今須村祖父谷郷の祖宝寺15坊一件おこる、野上村に頭分騒動あり  
1815 12 6月 関ケ原地方豪雨、関ケ原宿人馬賃銭が4割5分増となる 1815 杉田玄白「蘭学事始」
1816 13 9月 今須村天満宮頭氏子中に紛争あり、関ケ原村の源四郎が火箱焼き・瓦焼きを許される  
1817 14 6月 関ケ原宿に助郷人馬出勤定が定められる  
1818 文政元 2月 今須村に太子講規約ができる、同村白山社修復につき争論あり  
1820 3 中山道筋取締見回り役法条源九郎・田村七五郎今須宿にくる  
1822 5 同役田村七五郎・岩田富蔵が今須宿にくる  
1823 6 中山道見廻り役中野又兵衛・馬場金之丞が今須宿へくる  
1828 11 1月 関ケ原火災除け祭礼に公門・中両町の紛争あり
旗本岩手竹中氏が収納米蔵詰定を制定
1828 シーボルト事件
1829 12 10月 関ケ原の茶屋・旅籠屋に飯盛女を置くことを出願  
1831 2 登美宮が徳川斉昭へ輿入のため下向、有宮が徳川家定への輿入のため下向  
1832 3 7月 十九屋池で御殺生あり、8月 池寺池で御殺生あり、琉球使節通行、関ケ原村八幡宮灯籠で西・中町間紛争  
1833 4 竹中氏節検の触れをだす 1833 天保の大飢饉
1834 5 7月 竹中氏藩礼を発行、7〜8月 関ケ原村雨乞い 「東海道五十三次」
1836 7 8月 関ケ原村に村方騒動あり  
1837 8 11月 関ケ原・今須・垂井3宿の茶屋・旅籠屋渡世困難を訴う、関ケ原地方大凶作、松尾村村政改革を計画 1837 大塩平八郎の乱
1841 12 竹中氏倹約令を出す、関ケ原宿間屋敷の下売荷高は27,781駄、竹中氏幕命により陣場野の床几場を普請し、翌年完成  
1843 14 3月 東西甲斐墓新田検地、竹中氏玉村勘定心得8ヶ条を定める 1843 人返しの法
1845 弘化2 竹中氏が関ケ原村の古山兵四郎ら10人の頭百姓に名字帯刀を許す  
1849 嘉永2 1月 幕府今須・垂井両宿へ各20輌の板車の使用を許可  
1850 3 6月 竹中氏倹約令を出す、琉球使節通行、茶壷通行  
1851 4 11月 中山道・美濃路22宿組合の取締役として今須宿問屋伊藤五郎次と守山宿問屋栄蔵を任ず 1853 ペリー浦賀に来航
1853 プーチャチン長崎に来航
1857 4 2月 竹中氏関ケ原村に鉄砲猟師心得方を申渡す 1855 江戸大地震
1858 5 関ケ原村の秋葉祭礼花火溜場につき西・中町間紛争 1858 日米修好通商条約
1858 安政の大獄
1859 6 8月 関ケ原村西・中両町間で再び紛争  
1860 万延元 不和郡大雪(関ケ原8尺余、玉・今須1丈余)、山中村で郷例をめぐり紛争あり 1860 桜田門外の変
1860 五品江戸廻送令
1861 文久元 10月 和宮徳川家茂へ輿入れで下向(24日今須休関ケ原昼食)
1862 坂下門外の変
1862 生麦事件
1863 3 彦根藩が琵琶湖と伊勢湾を結ぶ運河計画を提示、今須・垂井両宿間に争論、関ケ原宿人馬賃銭9割5分増 1863 下関事件薩英戦争
1863 8・18政変
1864 元治元 10月 旗本竹中重固陸軍奉行として第一次長州征伐に向う、
11月 武田耕雲斎の西上に備え彦根藩が関ケ原に出兵
1864 禁門の変
1864 第一次長州征伐
1865 慶応元 11月 竹中重固代二次長州征伐に出征 1865 第二次長州征伐
1867 3 関ケ原宿人馬賃銭6倍5割増
1月 竹中重固 鳥羽伏見で敗れ榎本武揚軍に投ず
1867 大政奉還
1867 王政復古の大号令
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