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知ってると得する、豆知識いろいろ 「関ケ原辞典」

単語帳:あ行

愛妾(あいしょう)

お気に入りの妾(めかけ)のこと。妾とは婚姻した男性が、妻とは別に囲う女性のこと。

会津(あいづ)

福島県西部の会津盆地を中心とする地域。北部に喜多方市、南部に会津若松市がある。

青野原(あおのがはら)

南北朝時代の地名。美濃国青野原。現在の岐阜県大垣市にあたる。

赤座直保(あかざなおやす)不明-1606

安土桃山時代の武将。織田信長、豊臣秀吉に仕える。関ケ原の戦いでは、小早川軍と共に西軍から東軍に寝返り大谷軍を壊滅させる。戦後、徳川家康にその功を認められず所領を没収された。

浅井亮政(あざいすけまさ)不明-1542

戦国時代の大名。近江国小谷城主。備前守。1531年六角軍に攻められ、敗北したが、その後、朝倉孝景の援軍を得て、友好的な状態を維持した。1538年江北を中心に徳政令を出した。

足利尊氏(あしかがたかうじ)1305-1358

鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。室町幕府初代将軍。在職1338-1358。

足利義詮(あしかがよしあきら)1330-1367

室町幕府第2代将軍。1358-1367在職。足利尊氏の三男。

阿仏尼(あぶつに)不明-1283

鎌倉時代中期の女流歌人。藤原為家の側室。為家の死後出家し、北林禅尼とも呼ばれる。『十六夜日記』などの代表作がある。

天照大神(あまてらすおおみかみ)

日本神話に登場する神。太陽を神格化した神であり、日本皇室の祖として伊勢神宮の内宮に祀られている。

愛発関(あらちのせき)

愛発山あたりにあった古関。近江と越前の境にあたり、北陸道の要衝。鈴鹿・不破とともに三関と呼ばれたが、789年廃止。

行宮(あんぐう)

天皇の行幸のときに旅先に設けた仮宮。

井伊直政(いいなおまさ)1561-1602

安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川家康の重臣の1人。兵具を赤色とした「赤備」で有名。また、直政自身は「赤鬼」といわれ恐れられた。関ケ原合戦の後には、近江国佐和山城に転じ18万石を領した。

遺恨(いこん)

忘れがたい深いうらみ。宿怨(しゅくえん)。

イコン(いこん)

キリスト教において神や天使や聖人を記念し、象徴として模られた絵や像のこと。崇敬の対象とされる。

十六夜日記(いざよいにっき)

藤原為家の側室、阿仏尼によって記された旅行記。

石田三成(いしだみつなり)1560-1600

安土桃山時代の武将。幼名は佐吉、初名は三也。近江国坂田郡石田村(滋賀県長浜市)の出身。豊臣秀吉に才能と知恵を認められて五奉行の1人となり、太閤検地などで活躍。秀吉の死後、徳川家康と対立、関ケ原の戦いで敗れ処刑された。

遺臣(いしん)

先代または前朝に仕えていた旧臣。滅亡した国・藩などの家来。

伊勢街道(いせかいどう)

伊勢神宮への参詣路の総称。

板橋宿(いたばししゅく)

江戸から数えて中山道最初の宿駅。

板庇(いたびさし)

板ぶき屋根のひさし。

一条兼良(いちじょうかねよし)1402-1481

室町時代の公卿。「かねら」とも呼ばれる。学才や、歌学の深い知識が将軍家に重んじられ、「新続古今和歌集」の和漢両序を執筆した。

一条天皇(いちじょうてんのう)979-1011

986-1011年在位。円融天皇の第1皇子。986年花山天皇の出家の事件によって7歳で即位、外祖父の右大臣兼家が摂政となった。

一里塚(いちりづか)

主要な街道に1里(約3.927km)ごとに築かれた塚。榎・松などが植えられ、旅人のための里程標となった。

一間社流造り(いっけんしゃりゅうつくり)

神社本殿で、母屋(もや/おもや)正面の柱間が1つのもの。

稲葉一鉄(いなばいってつ)1516-1588

戦国・安土桃山時代の美濃国の武将。美濃三人衆の1人。土岐氏の滅亡後、斎藤家に仕えた。織田信長の美濃攻略の際には、氏家・安藤と共に内通し、稲葉山城落城の足がかりを作った。以後、信長に仕え美濃曾根城を居城とし、姉川の戦いなどで活躍した。信長死後は、秀吉に仕えた。

今若丸(いまわかまる)1153-1203

阿野 全成(あの ぜんじょう/ぜんせい)のこと。平安時代末期から鎌倉時代初期の僧。源義朝の七男。母親は常盤御前。

引見(いんけん)

地位の高い人が、自分よりも身分の低い人を呼び入れて対面すること。

上杉景勝(うえすぎかげかつ)1555-1623

安土桃山時代の武将。上杉謙信の養子。豊臣秀吉に仕え、会津若松120万石の領主、五大老の1人となった。しかし、秀吉の死後、徳川家康と敵対し関ケ原の戦いで敗れ、出羽米沢30万石に領地を移された。

宇喜多秀家(うきたひでいえ)1572-1655

安土桃山時代の武将。大名家としては宇喜多家最後の当主で、通称は「備前宰相」父は宇喜多直家。豊臣秀吉に仕え、四国・九州・小田原征伐で軍功をあげ、朝鮮出兵に参加、豊臣五大老の1人となった。関ケ原の戦いでは西軍として参戦。敗戦後、八丈島に流され死亡。

氏家ト全(うじいえぼくぜん)不明-1571

戦国・安土桃山時代の美濃の武将。美濃三人衆として知られている。石津郡牧田城主氏家行隆の子。

牛若丸(うしわかまる)1159-1189

源義経の幼名。平安末期から鎌倉初期の武将。母は常盤御前。兄は源頼朝。

宇多天皇(うだてんのう)867-931

887-897年在位。光孝天皇の第7皇子。光孝天皇崩御の直前に藤原基経の推挙で即位。遣唐使を中止した。

歌枕(うたまくら)

和歌に詠まれる地名のこと。

馬揃え(うまぞろえ)

武家時代、軍馬を集めてその優劣や調練の状況などを検分したこと。

叡尊(えいぞん)1201-1290

鎌倉時代中期の僧侶。奈良西大寺の中興開山。後嵯峨・亀山・後深草天皇の戒師として活躍した。

永楽通宝の軒丸瓦(えいらくつうほうののきまるがわら)

中国、明朝の永楽6年(1408)から22年(1424)にかけて鋳造された銅銭を、永楽通宝というが、その銅銭の形をした瓦のこと。

穢土(えど)

仏教用語。けがれた国土。迷いから抜けられない生き物の住むこの世を指す。現世。

恵美押勝(えみのおしかつ)706-764

藤原仲麻呂。奈良時代の貴族、政治家。南家武智麻呂の第2子。

衛門(えもん)

宮城諸門の警備、部署の巡検、行幸の先駆けなどにあたった。

縁起絵巻(えんぎえまき)

社寺の造立(ぞうりゅう)や、その祭神・本尊の造像に関する由来・霊験譚(れいげんたん)などの伝承説話を題材として描いた絵巻。

円融天皇(えんゆうてんのう)959-991

969-984年在位。村上天皇の第5皇子。984年譲位後は病気により出家、法名を金剛法と称し、991年に崩じた。

奥州(おうしゅう)

陸奥国の別称。現在の東北地方ほぼ全域を指す。

近江(おうみ)

旧国名の1つで、現在の滋賀県にあたる。

押領(おうりょう)

古代の法律用語。平安時代中期以後、武力等の実力をもって他人の所領や年貢等の知行を侵略する行為。

大海人皇子(おおあまのおうじ)

天武天皇」参照。

大谷吉継(おおたによしつぐ)1559-1600

安土桃山時代の武将。秀吉の側で仕える。関ケ原の戦いでは石田三成の頼みにより、敗戦覚悟で西軍に加わり勇戦したが、小早川秀秋の裏切りで戦死。ハンセン病で目が見えず、駕籠に乗って戦闘を指揮したと伝えられている。

大津宿(おおつじゅく)

現在は滋賀県大津市にあたる、東海道53番目、中山道69番目の宿場。東海道の中では最大といわれる。

大友皇子(おおとものおうじ)

弘文天皇」参照。

大伴古麻呂(おおとものこまろ)不明-757

奈良時代の官人、父は不詳。732年遣唐使に加わった。

大伴家持(おおとものやかもち)不明-785

奈良時代の貴族、歌人。三十六歌仙の1人。『万葉集』の編集者で最多作者。

岡山(丸山)烽火場(おかやま/まるやまのろしば)

関ケ原合戦時に、東軍が開戦の烽火をあげた場所で、黒田長政・竹中重門が布陣した。

小川祐忠(おがわすけただ)不明-1601

戦国時代の武将。豊臣秀吉につかえ伊予府中城主となり7万石を領する。関ケ原の戦いでは、はじめ西軍についたが、東軍に寝返った。

奥平貞治(おくだいらさだはる)不明-1600

戦国時代から安土桃山時代の武将。徳川家康の旗本で、関ケ原の戦いでは西軍の小早川秀秋の陣を監視した。その後大谷吉継との戦いで戦死。

桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)

永禄3(1560)年に尾張国桶狭間で行われた合戦。2万5千もの大軍を率いる駿河の大名・今川義元を、尾張の大名・織田信長が10分の1ほどの兵力で義元を討ち取り、敗走させたというエピソードが有名な戦い。

織田信長(おだのぶなが)1534-1582

戦国時代から安土桃山時代の武将。桶狭間に今川義元を討って尾張一国を統一。1573年、足利義昭を追放し室町幕府を滅亡させた。その後、安土城を築いて全国統一に乗り出す。しかし、志半ばで本能寺にて、明智光秀の急襲を受け自刃。

乙若丸(おとわかまる)1155-1181

義円の幼名。源義朝の八男で平安時代末期の僧侶。

御岳山(おんたけさん)

長野・岐阜両県境にある活火山。飛騨山脈南部にあり、標高3067m。

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