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知ってると得する、豆知識いろいろ 「関ケ原辞典」

単語帳:は行

八幡神社(はちまんじんじゃ)

若宮八幡宮を参照。

初(はつ)1570-1633

近江国の戦国大名・浅井長政の娘。母は織田信長の妹、お市の方。姉妹に茶々とお江がいる。戦国大名の京極高次の正室。

馬頭観音(ばとうかんのん)

仏教における信仰対象である菩薩の一尊。観音としては珍しい忿怒の姿をする。菩薩観音の変化神。

花園天皇(はなぞのてんのう)1297-1348

1308-1318年在位。伏見天皇の第4皇子。

馬防柵(ばぼうさく)

戦いの際、陣への騎馬隊突入を防ぐ為、丸太等を縦・横組み合わせたもの。

東三条院(ひがしさんじょういん)962-1001

別称、藤原詮子。円融天皇の女御。太政大臣藤原兼家の娘。初めての女院号となる東三条院と称せられた。

氷上川継(ひがみのかわつぐ)生没年不明

奈良時代から平安時代前期の貴族。氷上塩焼の子。782年正月因幡守に任ぜられた。

飛脚(ひきゃく)

手紙・金銭・小荷物などの送達にあたった者。

日野俊基(ひのとしもと)不明-1332

鎌倉時代後期の公卿。1323年後醍醐天皇に抜擢されて蔵人頭に任じられた。後醍醐天皇の倒幕計画に参加し、倒幕の密議をはかった。

標柱(ひょうちゅう)

目印の柱。また、目印となるもの。

平塚為広(ひらつかためひろ)不明-1600

戦国時代から安土桃山時代の武将。関ケ原の戦いでは西軍の石田方に属した。女性運動家である平塚らいてうは為広の子孫にあたる。

平塚定二郎(ひらつかさだじろう)生没年不明

平塚らいてうの父。安土桃山時代の垂井領主である平塚為広の直系の子孫。

平塚らいてう(ひらつからいてう)1886-1971

東京生まれの社会運動家・評論家。女性運動の先駆者。本名は奥村明(はる)。ペンネームの「らいてう(ちょう)」は雷鳥をかなにしたもの。文芸雑誌『青鞜』を創刊、『元始、女性は太陽であった』で始まる創刊の辞は、同時代の女性に衝撃を与える。

桧皮葺き(ひわだぶき)

檜(ひのき)の樹皮を密に重ねて屋根を葺くこと。また、その屋根。

賓客(ひんきゃく)

大切な客人。

フィトンチッド(ふぃとんちっど)

樹木から放出される揮発性の物質。芳香と殺菌性がある。

福島正則(ふくしままさのり)1562-1624

安土桃山時代から江戸初期の武将。幼少時から豊臣秀吉に従い各地を歴戦、賤ヶ岳の戦いでは七本槍の筆頭として活躍。関ケ原の戦いでは、東軍の徳川方に属した。戦後は安芸広島と備後鞆の大大名となる。

武功(ぶこう)

戦いであげた手柄。

ふぢ河の記(ふぢかわのき)

1473年、一条兼良によって記された、美濃を訪れた際の旅行記。

伏見天皇(ふしみてんのう)1265-1317

1287-1298年在位。後深草天皇の第2皇子。

藤原有国(ふじわらのありくに)943-1011

平安時代中期の公卿。977年従五位下に叙せられて以来、数々の役を歴任し、990年には蔵人頭や従三位に叙任された。藤原惟成とともに文章で巧みなことで知られた。

藤原安子(ふじわらのあんし・やすこ)927-964

村上天皇の中宮。右大臣藤原師輔の女、冷泉、円融両天皇等の母。

藤原穏子(ふじわらのおんし・やすこ)885-954

醍醐天皇の中宮。藤原基経の女。901年醍醐天皇の女御となり、皇子崇象、朱雀天皇を産んだ。日記に『太后御記』などがある。

藤原兼家(ふじわらのかねいえ)929-990

平安時代中期の公卿。父は右大臣藤原師輔。948年参議を経ずに兄兼通を超越して従三位、その後972年大納言と先んじて昇進した。晩年は出家し、父の意志を継いで恵心院を建立した。

藤原兼通(ふじわらのかねみち)925-977

平安時代中期の公卿。藤原師輔の次男。969年参議。974年関白となった。

藤原公季(ふじわらのきんすえ)957-1029

平安時代中期の公卿。967年元服後、数々の役職を経て1021年太政大臣となる。通称・閑院太政大臣。

藤原薬子(ふじわらのくすこ)不明-810

平城天皇の後宮に仕えた女官。東宮宣旨として仕えた。平城天皇の譲位後、兄藤原仲成と共に上皇に従って嵯峨天皇の朝廷と争ったが敗れ、平城宮にて自殺した。

藤原伊周(ふじわらのこれちか)974-1010

平安時代中期の公卿。藤原道隆の子。990年道隆が祖父兼家を継いで関白となるや、995年叔父道長らを越えて内大臣となった。

藤原伊尹(ふじわらのこれまさ)924-972

平安時代の公卿、摂政。師輔の没した960年参議。970年天皇外叔父として摂政になり、翌年太政大臣として当代次代の外威として絶大な権力を握った。

藤原実頼(ふじわらのさねより)900-970

平安時代中期の公卿。小野宮殿、小野宮のおとどとも称された。藤原忠平の長男。969年、関白、太政大臣を経て摂政になる。

藤原順子(ふじわらのじゅんし・のぶこ)809-871

仁明天皇の女御。五条后と称せられる。清和天皇即位後の861年出家、864年太皇太后、871年崩御した。

藤原忠平(ふじわらのただひら)880-949

平安時代中期の政治家。藤原基経の四男。多くの要職を兼ね924年摂政となった。941年摂政を辞して関白となった。

藤原為光(ふじわらのためみつ)942-992

平安時代中期の公卿。藤原師輔の九男。957年従五位下、その後いくつかの役職を経て991年太政大臣に任ぜられたが、992年没した。

藤原定子(ふじわらのていし・さだこ)976-1000

一条天皇の中宮、皇后関白藤原道隆の娘。定子の宮は後宮サロンの一つで、清少納言が仕えたことでも著名。

藤原基経(ふじわらのもとつね)836-891

平安時代前期の摂政、関白。藤原長良の三男。

藤原良房(ふじわらのよしふさ)804-872

平安時代前期の政治家。通称白河大臣。嵯峨上皇の崩御に際して承和の変が起こるや、乗じて皇太子恒貞親王を廃し、その側近を追放し道康親王を皇太子に立てた。以後、外威として政権を握った。

藤原頼忠(ふじわらのよりただ)924-989

平安時代中期の貴族。左大臣藤原実頼の次男。984年花山天皇となるが、公事には従わず政治の実権は藤原義懐が掌握した。

敷設(ふせつ)

広い範囲に設置すること。

不破関(ふわのせき)

東海道の鈴鹿関、北陸道の愛発関とともに、三関と呼ばれる。畿内を防御するために特に重視された。三関から東は東国または関東と呼ばれた。

奮戦(ふんせん)

気力を奮い起こして全力で戦うこと。

平治の乱(へいじのらん)

平治元年(1159)京都に起こった内乱。平清盛を打倒しようとして、源義朝が藤原信頼と結んで挙兵したもの。結局、義朝・信頼は殺され、平氏政権が出現した。

平定(へいてい)

敵や賊を討ち、平らげること。

弁財天(べんざいてん)

インド神話で、河川の女神。音楽・弁舌・財福・智慧の徳があり、吉祥天とともに信仰された。

編纂(へんさん)

いろいろな材料を集め、整理・加筆などして書物にまとめること。

崩御(ほうぎょ)

天皇や皇太后等の死去に対し、敬意を込めてさす言葉。

宝篋印塔(ほうきょいんとう)

墓地に造立された石塔。蓋(かさ)の部分の四隅に馬耳形の突起をもつのが特徴。

房総(ぼうそう)

安房(あわ)、上総(かずさ)、下総(しもうさ)の総称。現在の千葉県。

宝暦(ほうれき、ほうりゃく)

江戸中期の元号で、寛延の後、明和の前。1751年から1763年までの期間。

宝暦治水(ほうれきちすい)

江戸時代の宝暦年間(1754-1755)、幕名で行われた治水工事。濃尾平野を流れる3河川の治水を、平田靱負を始めとする薩摩藩士947名が行った。薩摩藩を弱体化させる幕府の狙いがあったとされる。

望楼(ぼうろう)

遠くを見渡すためのやぐら。

圃場(ほじょう)

作物を栽培する田畑。

北国街道(ほっこくかいどう)

現在の北陸道の呼称。

本陣(ほんじん)

江戸時代、街道の宿駅で、大名・公家・幕府役人などが宿泊した公的な旅宿。

本多忠勝(ほんだただかつ)1548-1610

安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川四天王・十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の功臣として現在も顕彰されている。

関ケ原辞典