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知ってると得する、豆知識いろいろ 「関ケ原辞典」

単語帳:ま行

前田利長(まえだとしなが)1562-1614

安土桃山・江戸時代前期の大名。第2代金沢藩主。前田利家の嫡男。父利家とともに信長に仕え越前国府中となり、父の3万3千石を受け、信長の四女と結婚した。関ケ原合戦では徳川方に付き北陸の情勢を有利に導いた。

松尾芭蕉(まつおばしょう)1644-1694

江戸前期の俳人。伊賀の人。名は宗房。芭蕉は俳号。日本史上最高の俳諧師の一人。江戸から岐阜大垣まで旅した紀行文『おくのほそ道』がある。各地を旅して発句や紀行文を残す。

松尾山(まつおやま)

関ケ原町の南部にある標高293mの山。関ケ原の戦いで小早川秀秋が布陣した山。

松平忠吉(まつだいらただよし)1580-1607

安土桃山時代から江戸時代の大名。江戸幕府2代将軍徳川秀忠の同母弟。徳川四天王の一人・井伊直政の娘婿にあたる。1600年の関ケ原の戦いで初陣を飾り、福島正則と先陣を争い、島津豊久を討ち取る等の功を挙げる。

三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)

1573年、三方ヶ原(現在の静岡県浜松市北区三方原町近辺)で起こった徳川家康軍と武田信玄軍との戦いであり、この戦いは家康の歴史的大惨敗かつ唯一の敗戦として有名。

三つ葉柏(みつばがしわ)

紋所の名。かしわの葉3枚を、華のように図案化したもの。

源義家(みなもとのよしいえ)1039-1106

平安時代後期の武将。鎌倉幕府を開いた源頼朝、室町幕府の足利尊氏の祖先に当たるため、後世に英雄視されている。

源義経(みなもとのよしつね)1159-1189

平安末期から鎌倉初期の武将。義朝の九男。母は常盤御前。幼名、牛若丸。平治の乱後、鞍馬寺に入り、さらに奥州の藤原秀衡のもとに身を寄せた。兄頼朝の挙兵に応じて義仲を討ち、次いで平氏を一ノ谷・屋島・壇ノ浦に破って全滅させた。のち、頼朝と不和になり、反逆を企てたが、失敗して奥州に逃れた。秀衡の死後、その子泰衡に襲われ、衣川の館で自殺。悲劇の英雄として伝説化される。

源義朝(みなもとのよしとも)1123-1160

平安末期の武将。頼朝・義経らの父。保元の乱で後白河天皇方に味方して勝利をおさめ、敵方の父為義ら一族を滅ぼした。のち、藤原信頼と結んで平治の乱を起こしたが、敗れて尾張で殺された。

源頼信(みなもとのよりのぶ)968-1048

平安中期の武将。藤原道長に仕え、平忠常の乱を戦わずして鎮めて武名をあげた。

源頼朝(みなもとのよりとも)1147-1199

平安時代末期〜鎌倉時代初期の武将。鎌倉幕府の初代征夷大将軍。

美濃(みの)

旧国名の1つで、東山道に属し、現在の岐阜県南部にあたる。

村上天皇(むらかみてんのう)926-967

946-967年在位。醍醐天皇第14皇子。944年朱雀天皇の譲位を受け即位。天皇の政治は多くの公事が整えられ、倹約と諸芸文筆が奨励された治世は延喜、天暦の聖代と称された。

明治維新(めいじいしん)

江戸幕府に対する倒幕運動から、明治政府による天皇親政体制の転換とそれに伴う一連の改革。

名所図会(めいしょずえ)

江戸時代後期の挿絵付きのガイドブック。日本の国別、街道別に「〜名所図会」というタイトルで出版された。

木契(もっけい)

律令制で、三関の開閉に用いられた木製の割符。

桃配山(ももくばりやま)

岐阜県不破郡関ケ原町にある標高104mの山。関ケ原の戦いにて東軍の総大将徳川家康が最初に陣を置いた場所。

モリアオガエル(もりあおがえる)

無尾目アオガエル科の両生類。日本固有種。体長5〜9cmで雌のほうが大きい。背面は緑色であるが、不規則な褐色斑をもつものもある。主に本州の山間部に生息し、4〜6月ごろ、水辺付近の樹上に泡状の卵塊を産みつけ、おたまじゃくしとなってから落下して水に入る。

文徳天皇(もんとくてんのう)827-858

850-858年在位。仁明天皇の第1皇子。842年承和の変によって立太子した。32歳の若さで急病の為没した。

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