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知ってると得する、豆知識いろいろ 「関ケ原辞典」

単語帳:さ行

斎藤道三(さいとうどうさん)不明-1556

美濃国の戦国大名。元々、油売り商人だったとされている。1530年より長井氏を乗っ取り、稲葉山城を居城とした。美濃を支配する為、織田家の後ろ盾を得ようとし、娘の濃姫を織田信秀の次男信長に嫁がせた。その後、嫡子の義龍と不和になり、義龍軍に攻め入られ没した。

斎藤妙椿(さいとうみょうちん)1411-1480

室町時代後期の美濃国守護代。応仁の乱時、美濃守護・土岐成頼にすすめて、足利義視に従軍して西軍に属し、戦功をあげた。

嵯峨天皇(さがてんのう)786-842

809-823年在位。平安時代在位。初期の天皇。桓武天皇の子。詩文や書に優れ代表作として『凌雲集』『光定戒牒』等がある。

笹尾山(ささおやま)

関ケ原合戦当時、石田三成が布陣したことで有名な山。標高258m。山頂からは関ケ原古戦場が一望できる。

佐竹義春(さたけよしはる)生没年不明

佐竹家9代目当主、佐竹義篤の弟。

薩摩(さつま)>

旧国名の1つ。今の鹿児島県の西部にあたる場所。

真田信繁(さなだのぶしげ)1567-1615

安土桃山時代の武将。真田昌幸の次男。関ケ原の戦いでは父とともに西軍に属し、徳川秀忠の動きを封じた。西軍敗北後に父とともに高野山へ蟄居した。その後、大坂冬の陣で再び豊臣側につき東軍を苦しめ、大坂夏の陣で戦死する。真田幸村とも呼ばれる。

真田信之(さなだのぶゆき)1566-1658

安土桃山・江戸初期の武将。真田昌幸の長男。初代松代藩10万石藩主。関ケ原合戦では東軍に属し、戦後父の旧領上田に移り、のち松代に移封されて真田家を存続させた。正室は本多忠勝の娘、小松姫。

真田昌幸(さなだまさゆき)1547-1611

安土桃山時代の武将。上田城主。武田信玄・豊臣秀吉・徳川家康に仕えた。関ケ原の戦いでは西軍に与し、次男幸村とともに徳川秀忠の動きを封じた。西軍敗北後、東軍に与した長男信之の取りなしで死罪を免れ、高野山へ蟄居した。

実隆公記(さねたかこうき)

室町時代の公卿、三条西実隆が記した日記。

更級日記(さらしなにっき)

菅原孝標の次女が平安時代中記に書いた日記。作者の13歳から52歳までの回想が綴られている。

佐和山(さわやま)

滋賀県彦根市にある山。海抜233m。石田三成の居城があった。

参勤交代(さんきんこうたい)

江戸幕府が諸大名を定期的に江戸に参勤させた制度。

三条天皇(さんじょうてんのう)976-1017

1011-1016年在位。冷泉天皇の第2皇子。

三条西実隆(さんじょうにしさねたか)1455-1537

室町時代後期から、戦国時代にかけて活躍した公卿、文化人。「実隆公記」等、数々の著書や編集に携わっている。

使役(しえき)

労働させること。時代により、納税の一種とされた。

諡号(しごう)

帝王などの貴人の死後、生前の行いの評価に基づき、贈られる贈り名。

シコロ(しころ)

かぶとの下に付く後頭部から首を保護する垂れの部分の名称。

静御前(しずかごぜん)生没年不明

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて生きた女性で、源義経の愛妾。

賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)

1583年近江賤ヶ岳(滋賀県長浜市)で羽柴秀吉が柴田勝家を破った戦い。秀吉の全国制覇の基礎が築かれた。

賤ヶ岳の七本槍(しずがたけのしちほんやり)>

賤ヶ岳の戦いにおいて、羽柴秀吉軍で活躍した7人の武将。加藤清正・福島正則・加藤嘉明・平野長泰・脇坂安治・片桐且元・糟屋武則の7人。

辞世の句(じせいのく)

歴史上のさまざまな人物が、人生の最期に残した句のこと。

柴田勝家(しばたかついえ)1522-1583

安土桃山時代の武将。信長第一の将として戦功があり、北陸の経営にあたった。本能寺の変後、豊臣秀吉に賤ヶ岳の戦いで敗れ、自刃。

島左近(しまさこん)生没年不明

安土桃山時代の武将。石田三成の家臣。本名・島清興。「三成に過ぎたるものが2つあり、佐和山の城と島の左近」と言われるほど器の大きな人物だったとされている。関ケ原合戦時は主君の三成に従い西軍に参加、小早川秀秋の裏切りと共に東軍に追いつめられ、意を決して突撃した後の行方は不明。

島津豊久(しまづとよひさ)1570-1600

戦国時代の武将。島津家久の息子。父の死後、叔父の義弘に引き取られて実子同様に育てられた。父家久の後を継いで日向砂土原城の城主となった。関ケ原合戦では西軍として参加し、義弘の敵中突破の退却時、身代わりとなり、討ち死にした。

島津義弘(しまづよしひろ)1535-1619

安土桃山時代の武将。兄・義久と共に九州全土を統一。文禄の役・慶長の役で功をあげ、関ケ原の戦いで西軍につき、敗退。帰国して隠居した。

舎営(しゃえい)

軍隊が兵営以外の家屋で宿泊や休養をすること。

社殿(しゃでん)

神社の建造物のこと。本殿・幣殿・拝殿・神楽殿などがある。

首級(しゅきゅう)

中国の戦国時代、秦の法で、敵の首を一つ取ると1階級上がったところから、討ち取った首。しるし。

淳和天皇(じゅんなてんのう)786-840

823-833年在位。桓武天皇の第3皇子。

譲位(じょうい)

君主が生きているうちに後継者へ地位を譲ること。

床几(しょうぎ)

脚を打ち違いに組み、尻の当たる部分に革や布を張った折り畳み式の腰掛けのこと。陣中・狩り場・儀式などで用いられた。

床几場(しょうぎば)

徳川家康が最後まで東軍の指揮をとっていた場所で、戦いが終わってからは、敵方の首実検をした所。

承久の乱(じょうきゅうのらん)

1221年に起こった後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して兵を挙げた戦い。この戦いで後鳥羽上皇は敗れ、この時より朝廷の権力が弱まり、幕府が力を持つようになった。

昌子内親王(しょうしないしんのう)950-999

冷泉天皇の皇后。朱雀天皇第1皇女。

浄土(じょうど)

仏教用語。一切の煩悩(ぼんのう)やけがれを離れた、清浄な国土。仏の住む世界。特に、阿弥陀仏の住む極楽浄土。

称徳天皇(しょうとくてんのう)718-770

749-758年在位。孝謙天皇。のちに重祚して称徳天皇となり、764-770年在位。高野姫尊、高野天皇とも呼ばれた。また、女性として史上初の皇太子である。

聖武天皇(しょうむてんのう)701-756

724-749年在位。文武天皇の子。

真言宗(しんごんしゅう)

空海(弘法大師)によって9世紀初頭に開かれた、日本仏教の宗派の1つ。

壬申の乱(じんしんのらん)

672年に起きた日本古代最大の内乱。大友皇子に対し大海人皇子が豪族を味方に付けて戦った。反乱者である大海人皇子が勝利。

親鸞(しんらん)1173-1263

鎌倉時代初期の日本の僧。浄土真宗の宗祖。法然を師とし、その教えを継承し、さらに高めることに力を注いだ。親鸞没後に宗派が確立されたが、自らが開宗するつもりは無かったといわれている。

杉山内蔵助(すぎやまうちくらのすけ)生没年不明

戦国時代の武将。竹中家の家臣。竹中半兵衛の叔父に当たる。

崇光天皇(すこうてんのう)1334-1398

1348-1351年 北朝在位。光厳上皇の第1皇子。

助郷人足賃(すけごうにんそくちん)

江戸時代、宿場で常備の人馬が不足する場合、その補充のために宿場近隣の村々から集められた労働者に対して払う賃金。

朱雀天皇(すざくてんのう)923-952

930-946年在位。醍醐天皇第11皇子。926年3歳で皇太子になり、8歳で即位。在位中は藤原忠平が摂政、関白として執政した。

鈴鹿関(すずかのせき)

不破関・愛発(あらち)関と並ぶ古代三関の一つ。伊勢国と近江(おうみ)国との境にあった。789年廃止。

スダジイ(すだじい)>

ブナ科しい属の常緑広葉樹。

世阿弥(ぜあみ)1363-1443

室町時代初期の猿楽師、父の観阿弥と共に猿楽で大成し、現在の観世流として受け継がれている。

青銅鏡(せいどうきょう)

古代の宗教・祭祀用具。古代中国に起源をもち、日本や朝鮮など東アジアで広く使用された。

清和源氏(せいわげんじ)

清和天皇の子孫で源姓を賜った氏族。とくに経基王の一流が栄えて、諸国に分かれた。

清和天皇(せいわてんのう)850-880

858-876年在位。文徳天皇の第4皇子。858年文徳天皇死去のあとを受けて9歳で即位。

関ケ原の戦い(せきがはらのたたかい)

慶長5年9月15日に起きた合戦。関ケ原での戦いを中心に日本全国でも奮戦が行われた。
徳川家康の覇権を決定付けた。

関ケ原合戦図志(せきがはらかっせんずし)

明治25年4月出版、神谷道一著。関ケ原合戦について詳しく書かれている資料。

箭先(せんさき)

矢の先。やじり。

千手観音(せんじゅかんのん)

千本の手と千個の眼を持っていて、千人同時に救済する力を持つとされている観音菩薩。

先鋒(せんぽう)

先陣として進むもの。戦闘の時、先頭を切って進むもの。

雑仕女(ぞうしめ)

宮中や貴族の家に仕える女性の召使いのこと。

雑舎(ぞうしゃ)

炊事関係や、使用人の住居に使う寝殿造りの建物。主殿の後方に設けられた。

曹洞宗(そうとうしゅう)

中国の禅宗五家の1つで、日本においては禅宗(曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗・普化宗)の1つ。本山は永平寺・總持寺。

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